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がいな祭りの花火に思う雑感

がいな祭りの花火に思う雑感

台風接近で心配された今年の花火も恙なく見事に打ち上げられた。
米子人としては「良かったなぁ」と、素直に思う。
早いもので、去年の花火の日は三柳「レンガ屋」の、最終日の前夜。
「明日一日、最高の「がんばり」を顧客の皆様にお届けしましょう」
と、檄を飛ばして一年が経つ。思い出に刻まれるような華やかな営業をさせて頂いた顧客の皆様にはあらためて感謝致します。有難うございました。
皆生の「RESUTAURANT レンガ屋」も、まずは一才、おかげさまで元気に営業しています。重ねてお礼申し上げます。

今年の花火の日は安来の「グランパ」で仕事をしました。十神山の「山の端」が赤や青に染まり、時折いたずらげに、大きな花火が顔をのぞかせます。一年頑張ったご褒美でしょうか?大きなお月様が雲の狭間から顔を出します。

片付けを少しほったらかせて、花火を見ながら一年の感慨にふけって居ました為に、僕はしばらく行方不明になってしまったようです。
とりあえず、少しバツが悪いので言い訳を考える。

お客様は皆さんお帰りになった筈なので、大きな声で店に入るや否や「いやー、ごめんごめん。ちょっと、神隠しに有っちゃって!」
怖い顔で店の連中が僕をにらむ。
「先ほどからドリンクのお客様がお越しに為っています…
!シ~~ッ!!」
あちゃー…。ごめんなさい。

さてさて、いよいよ夏本番。八月は皆生のレンガ屋で思いっきり頑張ります。
皆さん応援宜しくお願いしますね!

修業して来た事・修行して行くこと  (2)

Restaurantレンガ屋のKです。
連日の厳しい暑さを乗り越えるためにしっかりと食べましょう。

中口がFacebookに書いている投稿をアーカイブしていこうと思います。
今日の記事は2016年10月27日に投稿したものになります。

修業して来た事・修行して行くこと  (2)

最近の傾向として(とは言っても20年ぐらい前の話だが)メニューの料理以外の特別なリクエストは殆ど無かった。
基本的に「材料が有って出来る事はすべてお受けする。」と言うのが創業者・内田の考え方だったので「出来ません」とリクエストを断った記憶はない。

と言う訳で、色々ユニークなリクエストから頭を捻るリクエストまで幅広く受け入れている。
「海老が好きなので海老尽くしのフルコースで!」…この時はビビらせようと思い、メインはオマール海老の天丼にしたが、あまりのボリュームの多さにお客様に白旗を振られてしまい、微妙に失敗だった。「メンバーので一人だけ菜食主義なので、その方だけは野菜のコースで…。」「ノングルテンの方が居ますから一つだけ特別メニューで。」等々。肉がダメ・魚がダメ・生ものはダメ・貝又は甲殻類はダメ・生野菜はダメ・数えればキリがない。

アレルギー・好き嫌い・病気による制約・宗教的制約・様ざまな理由で制限される食生活。

食べたいものを食べられる事の出来る幸せとは、なんと贅沢な事か。
ある意味ハンディーのある方々である。その方のリクエストに応えながら、同席した人達に「えー!!私もその人の料理が食べたい!」と思ってもらえるようなメニューを心掛けている。
「ハンディー」が「特権」に変わる事で、会食される方々の気持ちが和めば、と言う思いである。

ごく最近の例で挙げれば「メンバーの一人が流動食なので、その方だけ特別コースで。」…流動食?しかもコースで?…まいったなーと思いながら、沸々とファイトが湧き起こるのは因果な性分。
「ハンディーを特権に変えてやろうじゃないか!」
色とりどりの6種類の野菜のピュレを前菜として、茶碗蒸しに鱈と野菜のあっさり煮、豚肉のフリカッセ、ゆっくりと炊いたおかゆに自家製海苔の佃煮とタラコ・カスタードプリンと冷菓。ほぼフルコースを何とか完成できた。同席された方々が「私も味見させて!」とその方の料理をツツクものだから、最初は機嫌よく「どうぞ、どうぞ」と勧めていたものの、自分の食べる分が少なくなると言う心配か「おいおい…もうその辺でよせ」に為って居たかも
…と言うホールの報告は僕にとっては金の花丸だった。
技術も、知識も、経験も、レシピーも、原価も、利益もすべては修業の過程で習得できる。
自分の気持ちを込めた料理は一つ越えた何かが有ると思っている。
心(行)が料理に映るのであれば、業(わざ)だけでは出来ない。
僕の修行はこれからが本番である。

追伸
女房に「これからはいつお前が流動食になっても俺がいる限り大丈夫だぞ!」と励ましたら、何故か、どつかれた。
これも修行・修行…。

男の料理と男親の料理・・。

Restaurantレンガ屋のKです。

この度の平成30年7月豪雨により、亡くなられた方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、 被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復旧をお祈りいたします。

中口がFacebookに書いている投稿をアーカイブしていこうと思います。
今日の記事は2015年6月16日に投稿したものになります。

男の料理と男親の料理・・。

はっきりと言う。男の料理にはうんざりである。
僕が言っているのではない。おそらく料理好きな旦那を持った奥様方が口をそろえて、不満を言うだろう。
なんでそんな高価なものを使うの?なんでそんなに台所の洗い物を増やすの?
なんでご飯のおかずにもならないような品数を増やすの?なんでかたずけを手伝ってくれないの?・・
男とはそう言うものである。でも女房は思う・・講釈は沢山!
男として「気持ちはわかる」・・愛する家族に自分の存在をアピールしたい。

お父さん何のために作ったの? たまには女房に楽させてあげたい。たまには子供に喜んでもらいたい。とにかく喜んでもらいたい!と思っていた。
でもついつい自己満足を追求してしまう。

特別なものは何もいらない日常の母親の料理・それを理解すれば男親の料理は家族にとっての安らぎの食卓になると確信する。

実は料理以外、何のとりえもない僕は休みの日は晩御飯を担当する。
仕事柄、子供との触れ合いも無しに過ごしてきた24年間。
都合のいい話かもしれないが、父である僕を思い出してくれるとすればそこしかない。思い出を作れなかった事の後ろめたさもあるが、「男親の料理」を心がける。

休日に限って体調が思わしくないのはよくある話。少し頭が痛い。午前中は人と会う約束がある。
「夕方には帰ってくるから。」

優しい妻が心配そうな顔で「大丈夫?・・晩御飯?」

おい!  心配するのはそこじゃねーだろ!