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レストランの本質

Restaurantレンガ屋です。
本当にコロナウイルスの影響で皆様気持ちが落ち込んでおられると思います。
中口がFacebookに書いている投稿をアーカイブしていこうと思います。
今日の記事は2020年4月13日に投稿したものになります。

レストランの本質

忘れられない一言がある。

「良い店舗のバロメーターは客数にある。多くの顧客の喜びを大切にして行くこと。その気持ちを永く持続してゆく努力を弛まぬこと。
そう言う店が地域にとって必要な店となり、社会貢献性のある会社になる。」

創業者、内田の言葉である。
常々自分に言い聞かせてきた。弛まぬ努力を惜しむことはなかった。
レストランの本質は顧客の心と体を大切にして行く場所である。

そんな場所である筈のレストランが武漢肺炎の恐怖のため
今や逆に体を不健康にして仕舞うかも知れない場所になってしまった。

敢えて申し上げれば、今は日本人一致団結して自粛し
この困難を少しでも早く克服すべきである。

今は外食を楽しむべき時ではない。

自分の信念を覆されるかのような辛さがある。
出来る限り営業は続けたいと思っている。
このような時期に来店頂けた方には精一杯のおもてなしを心掛けたい。

でも…自粛すべきである。

レンガ屋がこの困難に耐えられるかどうかは
正直申し上げて今は自信がない。

ただ…乗り越えられた時、皆様のたくさんの笑顔にお会いしたいと心から願う。

レンガ屋が地域にとって必要とされる店であることを、信じながら。

修業して来た事・修行して行くこと  (2)

Restaurantレンガ屋のKです。
連日の厳しい暑さを乗り越えるためにしっかりと食べましょう。

中口がFacebookに書いている投稿をアーカイブしていこうと思います。
今日の記事は2016年10月27日に投稿したものになります。

修業して来た事・修行して行くこと  (2)

最近の傾向として(とは言っても20年ぐらい前の話だが)メニューの料理以外の特別なリクエストは殆ど無かった。
基本的に「材料が有って出来る事はすべてお受けする。」と言うのが創業者・内田の考え方だったので「出来ません」とリクエストを断った記憶はない。

と言う訳で、色々ユニークなリクエストから頭を捻るリクエストまで幅広く受け入れている。
「海老が好きなので海老尽くしのフルコースで!」…この時はビビらせようと思い、メインはオマール海老の天丼にしたが、あまりのボリュームの多さにお客様に白旗を振られてしまい、微妙に失敗だった。「メンバーので一人だけ菜食主義なので、その方だけは野菜のコースで…。」「ノングルテンの方が居ますから一つだけ特別メニューで。」等々。肉がダメ・魚がダメ・生ものはダメ・貝又は甲殻類はダメ・生野菜はダメ・数えればキリがない。

アレルギー・好き嫌い・病気による制約・宗教的制約・様ざまな理由で制限される食生活。

食べたいものを食べられる事の出来る幸せとは、なんと贅沢な事か。
ある意味ハンディーのある方々である。その方のリクエストに応えながら、同席した人達に「えー!!私もその人の料理が食べたい!」と思ってもらえるようなメニューを心掛けている。
「ハンディー」が「特権」に変わる事で、会食される方々の気持ちが和めば、と言う思いである。

ごく最近の例で挙げれば「メンバーの一人が流動食なので、その方だけ特別コースで。」…流動食?しかもコースで?…まいったなーと思いながら、沸々とファイトが湧き起こるのは因果な性分。
「ハンディーを特権に変えてやろうじゃないか!」
色とりどりの6種類の野菜のピュレを前菜として、茶碗蒸しに鱈と野菜のあっさり煮、豚肉のフリカッセ、ゆっくりと炊いたおかゆに自家製海苔の佃煮とタラコ・カスタードプリンと冷菓。ほぼフルコースを何とか完成できた。同席された方々が「私も味見させて!」とその方の料理をツツクものだから、最初は機嫌よく「どうぞ、どうぞ」と勧めていたものの、自分の食べる分が少なくなると言う心配か「おいおい…もうその辺でよせ」に為って居たかも
…と言うホールの報告は僕にとっては金の花丸だった。
技術も、知識も、経験も、レシピーも、原価も、利益もすべては修業の過程で習得できる。
自分の気持ちを込めた料理は一つ越えた何かが有ると思っている。
心(行)が料理に映るのであれば、業(わざ)だけでは出来ない。
僕の修行はこれからが本番である。

追伸
女房に「これからはいつお前が流動食になっても俺がいる限り大丈夫だぞ!」と励ましたら、何故か、どつかれた。
これも修行・修行…。

男の料理と男親の料理・・。

Restaurantレンガ屋のKです。

この度の平成30年7月豪雨により、亡くなられた方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、 被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復旧をお祈りいたします。

中口がFacebookに書いている投稿をアーカイブしていこうと思います。
今日の記事は2015年6月16日に投稿したものになります。

男の料理と男親の料理・・。

はっきりと言う。男の料理にはうんざりである。
僕が言っているのではない。おそらく料理好きな旦那を持った奥様方が口をそろえて、不満を言うだろう。
なんでそんな高価なものを使うの?なんでそんなに台所の洗い物を増やすの?
なんでご飯のおかずにもならないような品数を増やすの?なんでかたずけを手伝ってくれないの?・・
男とはそう言うものである。でも女房は思う・・講釈は沢山!
男として「気持ちはわかる」・・愛する家族に自分の存在をアピールしたい。

お父さん何のために作ったの? たまには女房に楽させてあげたい。たまには子供に喜んでもらいたい。とにかく喜んでもらいたい!と思っていた。
でもついつい自己満足を追求してしまう。

特別なものは何もいらない日常の母親の料理・それを理解すれば男親の料理は家族にとっての安らぎの食卓になると確信する。

実は料理以外、何のとりえもない僕は休みの日は晩御飯を担当する。
仕事柄、子供との触れ合いも無しに過ごしてきた24年間。
都合のいい話かもしれないが、父である僕を思い出してくれるとすればそこしかない。思い出を作れなかった事の後ろめたさもあるが、「男親の料理」を心がける。

休日に限って体調が思わしくないのはよくある話。少し頭が痛い。午前中は人と会う約束がある。
「夕方には帰ってくるから。」

優しい妻が心配そうな顔で「大丈夫?・・晩御飯?」

おい!  心配するのはそこじゃねーだろ!

修業して来た事・修行して行くこと

Restaurantレンガ屋のKです。
米子も梅雨入りをしたようですね。梅雨が明けたら暑い夏がやってきます。
しっかりと食べて体調管理をしていきましょう。

中口がFacebookに書いている投稿をアーカイブしていこうと思います。
今日の記事は2016年10月26日に投稿したものになります。

修業して来た事・修行して行くこと

料理人の修業は実はそんなに難しい物ではない。
基本はまず第一に整理整頓・常に清潔にから始まる。場合によってはそれらをすっぽかして「はい、これ皮むいて。そのあと、こうやって切って。」から始まる場合も有る。
毎日何キロも玉葱や人参を切れば大概半月で、よそ見をしながらでも包丁は動くようになる。
肉や魚をさばくのも、半年あれば、そこそこ一人前に見えるほど恰好はつく。要はどれだけ切ってどれだけの数をこなしたかによる。

フライパンを振る事も、それほど難儀な事では無い。賄いで焼き飯を一週間続ければ8日目には抜群のピラフを味わう事が出来るだろう

調理に必要な過程は基本的には4つしかない。すなわち「焼く・煮る・蒸す・揚げる」
4つを覚えれば後は応用である。まさに煮るなり焼くなり、蒸して焼くなり、揚げて煮るなり好きにすれば良い。

3・4年も有れば肉や魚を、計らなくても必要なグラムに切る事が出来し(70gでカットと言われれば、何枚でも±2gでカットできるようになる。)5mm角の賽の目のトマトだろうが、2mm幅の1mmの深さの魚の皮の切れ込みだろうが、3㎝の長さの2mm角の大根だろうが、指定されたサイズを事も無げに切る事が可能になる。

業(わざ)を磨くことは没頭すれば3年あれば成し得る。石の上にも三年とはよく言ったものである。
以上の観点で考えると5年のキャリアの人と、10年~20年~30年のキャリアの人とはさしたるスキルの違いは無いと言う事が分かる。

有る時、それも突然と、気付く事が有る。

自分の作った料理はそれを食べる方が評価すると言う現実。
当たり前ではあるがどんなに修業を重ねても
その評価がマイナスであるならすべての苦労が徒労に終わり
僕は何者にも成りえない…。
修業の限界がそこまで来た事に気付くかどうかが分水嶺だと思う

そして修行の時代になって行くのだ。

神様の本音・・

Restaurantレンガ屋のKです。
今日はすっかりと夏のような暑さ。。
寒暖差が激しいので体調管理には気をつけて下さいませ。

中口がFacebookに書いている投稿をアーカイブしていこうと思います。
今日の記事は2015年6月5日に投稿したものになります。

神様の本音・・

30年以上この職場にいると実にいろいろな奴と触れ合うことになる。
「もう僕は社長について行けんですわ!」・・・
大概この手のタイプは最初から、ついて来た試がない。

「もう我慢できんですわ!」・・と言ってコックコートを脱ぎ捨て職場放棄した子も居た。・・まだ1週間もたっていない。
何を我慢していたのか解らないので、とりあえず他の子に
「あいつはもう我慢できんらしい。お前らも、まさか我慢なんか、してるんじゃねーだろーな!我慢なんかしとったら、ただじゃおかんぞ!」と、脅しておいた。

若人よ。誰かの為になるために、費やす苦労は報われない物は無い。
自分が何者かに成る為の苦労も同じだと思う。
いつか君の仕事が認めてもらえる日が来る。
だが、一つ忘れないで欲しい。

神様はとんでもなくケチで、しみったれである。
どんなに頑張っても、僅かのご褒美もくれはしない。そんな事でくさるな!

「美味しかったよ!」・・・・・その言葉
すべての苦労が報われる瞬間である。

僕たちの賄いについて

Restaurantレンガ屋のKです。
GWも最終日となりました。
期間中に多くのお客様にご来店を頂き、本当に感謝致します。

中口がFacebookに書いている投稿をアーカイブしていこうと思います。
今日の記事は2018年2月25日に投稿したものになります。

僕たちの賄いについて

レストランに勤めている人達の密かな関心事はそこで食べる「賄い」なのではないかと思う。

同じ食事を共にする事ほど、深いコミュニケーションは無い。
食べ物は、音楽や芸術の様に人種や習慣を超えて行く事があらためて確認出来てしまうから、面白い。

小僧の時から賄いを作るのが大好きだった。お客様に料理を提供できるポジションに為るにはまだまだ先の頃、使っても良い材料も限られている中、技術も知識も怪しい限りなのだが、勢いだけは負けたくなかった。
食べる人はホールサービスのスタッフだ。それなりにうるさい方々である。
それぞれの好き嫌いの好みを覚えて同じ料理でも多少のアジャストを加えながら、「ご飯出来ました!」

懐かしい思い出と言いたい所ではあるが、僕は未だに賄いを作り続けている。

あの頃の作っていた食事は、作り手の僕の、食べる人への「挑戦」だった。
勝つか負けるか?不味かったら負けだ!と思っていた。

今は食べてもらう人への「感謝」に変わったような気がします。

そして今日も賄いを作るのです。

「いつも頑張ってくれて、ありがとう」と言うメッセージを込めて。

Restaurantレンガ屋
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